今更改めて言うほどのことでもないが、居住棟二階、優の部屋に入ってすぐの一角にホームバーがある。バーという名前上、テーブル兼カウンターに少し高めの丸椅子といった形を取ってはいるが、棚に並べられている酒の種類は洋の東西を選ばない。 しかし部屋の主である優、コイツがまた癖の悪い奴で、泣き上戸の笑い上戸の絡み酒。挙げ句の果てには脱ぎ上戸なんておまけまでついてやがる。 さっきからずっと優が一人で喋っている。酔って呂律の回らない口調で似たような話を延々と続けていた。 「んだぁら・・・・ちょっと、きぃてるのぉ?・・・ひとがしゃべってんだぁら・・・・ちゃんと ききなさぃよぉ」 これで何度目だろうか。グラスを片手に出来上がっている彼女は目が据わっている。 「へいへい、聞いてますよぉ・・・・」 秀の持つグラスは最初に注がれた水割りの氷が解けきろうとしても酒の量は少しも変わっていない。つきあいでほんの一口飲んだだけだ。それも舐める程度に。 「買い物先で”お嬢さん”って言われたってんでしょ、良かったじゃねぇの」 同じ質問に同じ返答。壊れたレコードのような会話が続いていた。 「そーなのよぅ・・・・・でもなーんか くやしぃのよねぇ・・・」 新しいパターンか、秀は次の言葉を静かに待つ。 「だってよ、おじょーさんっていわれて ぅれしいのょ・・・・もぅオバサンじゃなぃ・・・・わぁる?ねぇ?」 肘をついて乗り出してくる優。秀がむっとするアルコールの匂いに眉をひそめつつ解る解る、と応えると満足そうににやりと笑い、椅子に座り直した。 「・・・歳かしら・・・」 ぽつりとつぶやいた言葉は何故か、いやにはっきりとした音を持っていた。 「そう思うと急に歳を取るって言われてますぜ」 部屋に沈黙が訪れる。秀は少し後悔した。 しかし、いくら待っても抗議はおろか返事すら返ってこない。恐る恐る顔を上げると、優は空のグラスを持ったまま静かな寝息を立てていた。 「・・・まったく・・・・」 さっきの言葉を聞かれなかった事への安堵(あるいは残念?)からか、急に肩の力が抜ける。半分呆れながらカウンターの内側へ回り込んだ。 「ほら、風邪ひくぞ・・・」 船をこいでいる優を抱きかかえると、あっけないほど軽々と持ち上がった。自分の体重の半分ほどしかない彼女の腕など、雅と比べるといささか華奢すぎる感じすらした。そんな身体なのに緊急時ともなれば先頭に立って敵を蹴散らすのだから信じられない。 優を抱えたまま部屋の奥にあるベッドへと連れて行き、そっと横たえた。特に意識してやったわけではなかったのだが、思いがけないほど近くに彼女の顔が見えた。 月明かりに白く浮き上がった顔の中で、酒に濡れたままの唇が得も言われぬ輝きを放っている。 その淡い、だが強烈なまでの色香に秀は思わず息を呑んだ。 ・・・何考えてるんだ、俺は・・・ だがそれを否定するかのように自嘲気味な笑みを浮かべ、優に半分覆い被さっている上半身を起こそうとした。 「・・・・?」 確かに眠っているはずの優の腕が秀の首に絡められている。しかも信じられない力で抱き寄せてきたのだ。 「んぁっ」 不意打ちを食らい、再び二人の身体がすぐ近くに迫る。だが今度は接近などではなく、密着に近かった。 ・・・寝ぼけてるのか・・・・? 今度は確実に力を込めて起きあがろうとした。 「・・・・・・あのねぇ・・・・」 起きあがるのは起きあがれた。首にがっちりと絡められた腕は離れることなく優の身体ごと持ち上げる形になったが。 「離してくれんと戻れんのですがね、優サン」 ベッドに片手をついたままの姿勢で秀がつぶやく。優はそんな秀を無視し、もぞもぞと動いて秀の首っ玉に抱き付いてくる。 「・・・・・何か悪いことでもしましたかね、俺が」 こんな状況でも軽く流そうとしている辺り、性格がよく現れる。ただ、あまり度が過ぎると嫌われかねないが。 優の腕に更に力が込められる。彼女の体臭や使っている香水などが入り交じった強烈なフェロモンが秀の鼻腔をくすぐる。 「・・・どうして・・・・」 囁くように、優が口を開いた。タヌキ寝入りだったのか。 「どうして、気付いてくれないよ・・・・こんなに好きなのに・・・」 酒に酔っていた筈なのに、彼女の言葉はしっかりしていた。その細い腕で秀を力の限り抱きしめている。 「いつもいつも、精一杯にアピールしていたのに・・・」 「優・・・・・」 秀は震える声で訴える優の肩をつかみ、身体を離した。幼い子供のように心許ない表情で自分を見つめる顔があった。 真っ直ぐに見つめられて優の頬に紅みがさす。 「・・・・・え・・」 「・・・・ぐぇっほ!がふっ、がはっ・・・・んー、あー」 突然、秀がむせかえった。優の肩をつかんだまま苦しんでいる。 「ちょ・・・ちょっと・・・・」 「げほっ・・・か、肩が、喉に入った・・・・はぁ」 言いながら優の肩と自分の喉を交互に押さえる。あまりに力一杯だったため、首を絞める形になってしまったのだ。 「・・・・で、何だって?」 優の肩から急に急速に力が抜ける。思い切った告白はほとんど彼の耳には届いてなかったのだから。 「もういいわ・・・・おやすみ」 ふてくされてベッドに潜り込んでしまった。頭まで毛布をかぶっている。 「へいへい、おやすみ・・・」 手をぶらぶらさせて何事もなかったかのように部屋から出てゆく秀。ドアの前で振り返り、薄く笑って廊下に出た。 暖房の弱い廊下はやはり少し寒い。その冷えた空気が秀の目をいやが上にも冴えさせる。 「・・・・・・気付いてないわけねぇだろ・・・・」 優の部屋のドアにもたれ掛かり、ぼそりとつぶやく。 薄暗い中で瞳を閉じればあの香りが甦ってくる。あの時、護ることの出来なかった一人の少女によく似た、淡い香りが。 「愛に資格なんて必要無い・・か・・・」 俺的正義団結成当時は治安が悪く、民間人からもよく警護要請が入った。その少女もそんな一般市民から警護要請してきた一人だった。望と名乗った彼女は少々、他とは違った事情があったが。 「それでも・・・・」 理由は解らなかった。ある組織に命を狙われているから警護してほしい、と言うのだ。当然断る理由もなく引き受けたのだが、それまでの油断もあったのだろう、仲間の元へ送っていく道中、あと数キロ歩けばアジトがあるといった場所で、待ち伏せていたスナイパーの凶弾に倒されてしまった。 自分を責める秀の腕の中で、彼女は数日間の感謝と小さな恋心を打ち明け、静かに息を引き取った。 後に知ったことだが、彼女は少数民族解放軍の中心人物だった、と言うことだ。 「望・・・俺は・・・」 望という名前が本名かどうかは解らない。ただ、眩しいばかりの黒髪をしていたことだけが、鮮やかに記憶に残っている。 「だから、優、君だけは・・・・必ず・・・・・・!」 部屋のドアを見つめ、はっきりと心に誓った。この命に代えても、護り切ろうと。 エピローグ |